こんにちは。
志ある経営者の出会いと学びの場
株式会社いかしあい隊の杉本です。
今回は、
2月からNHKで放送されている大河ドラマ「青天を衝け」の主人公であり、
2024年からの新1万円札の肖像に選ばれた
何かと話題の「渋沢栄一氏」(以下、敬称略)について書いてみようと思います。
恥ずかしながら、何をされた方なのか
詳しく知らなかったので、これを機に調べてみました。
長くなりそうなので、2回に分けて投稿します。
はじめに
「真似をするときには、その形ではなく、その心を真似するのが良い」
タイトルにもつけたこの言葉は、渋沢栄一の名言です。
表面上の事ではなく、
その本質をしっかり見極めて学びなさい
という事でしょうか。
実は、いかしあい隊は渋沢栄一とご縁が多いのです。
渋沢栄一の玄孫(5代目の孫)にあたる渋沢健氏が取締役会長を務める、
コモンズ投信株式会社の伊井氏に弊社の会合でご登壇いただいたり、
株式会社センカクの代表取締役会長であり、渋沢栄一翁顕彰委員会の
名誉総裁でもある西山由之氏にもご登壇いただいたことがございます。
しかしながら、渋沢栄一が何をしてきた方なのか、知らないことが多いので、
渋沢栄一の本質を知る為に、生い立ちや経歴を調べてみました。
渋沢栄一とは?
「日本資本主義の父」と呼ばれ、
生涯で500もの企業の設立・経営に関わってきた実業家。
この1文だけで笑ってしまうくらい偉大な方ですね。
ここからは渋沢栄一の生い立ちや経歴を簡単に説明します。
1840年に現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれ、
小さいころから家業の仕入れや営業販売など手伝い、
才覚を発揮していたようです。
20歳を過ぎた頃に交際のあった一橋家家臣から推薦を受け
一橋慶喜(後の15代将軍徳川慶喜)に仕えます。
その後、1866年に慶喜が将軍となったことに伴い幕臣となります。
そして、翌年にはパリ万博使節団としてフランスへ渡り、
その視察としてヨーロッパ各国を訪問しました。
明治維新によりフランスから帰国した後は大蔵省に勤め、
フランスで学んだ株式会社制度を実践したり、
新政府からの辞令書を受けたりと活躍の場は広がります。
今も使われている「円」という通貨を
世に出すことにも携わりました。
その後、日本をより発展させるに、
日本最初の銀行、第一国立銀行(現みずほ銀行)を作ります。
(そういえば、みずほ銀行のコードは0001ですね)
銀行を作ればお金を借りて起業する人が
増えると目論んだわけです。
しかし、当時、株式会社は一般に馴染みがなく
借り手はあまり集まりませんでした。
そこで、借り手がいないのならば、
自分で作ろうと思い起業ラッシュが始まります。
渋沢栄一が設立した
約500もの会社の一例を挙げると
東京ガス、王子製紙、東急電鉄、大日本印刷、日本経済新聞、
東京海上日動、東京電力、東洋紡、キリン、サッポロ、太平洋セメント、
帝国ホテル、大成建設、東京建物、東宝
東京商工会議所や東京株式取引所など・・
誰もが一度は耳にしたことのある会社ばかりです。
その他にも
一橋大学、東京経済大学、理化学研究所
東京女学館、日本女子大など、教育機関の支援も行ってきました。
多くの功績を目にすると、
あらゆる分野に渋沢栄一が関わっていたことが分かりますね。
その後、1916年76歳の時に実業界を引退します。
引退した後も、
1923年の関東大震災では、
80歳を超える年齢ながら、
震災復興を率先してリードし尽力しました。
91歳で生涯の幕を閉じますが、
私利私欲ではなく
日本の発展や国民が平等に豊かになれるように
走り続けた人生だったようです。
次回について
次回は「論語と算盤」や「渋沢栄一の名言」
について書きたいと思います。
このコラムに書いたこと以外でも
渋沢栄一について知らなかったことも多く、
何度も驚かされています。
大河ドラマ「青天を衝け」も
ぜひ見てみようと思っています。
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